落語と寄席の再考①
コロナ渦と世代交代と価値観と

過度期の日本の伝統芸能
卅八十一 2023.02.01
誰でも

落語と寄席に相当のめり込んでいた時期がある

専門誌の『東京かわら版』を毎月買って寄席や落語会の予定をチェックし、落語協会・落語芸術協会のファン感謝イベントにどちらも足を運んでいたりもしていた

しかし一時期ほど熱心には追いかけなくなってしまった

別にたいした理由はない

これが決定打だったなというものも正直記憶にない

かといって寄席や落語会に行く機会は完全になくなったりはしなかった

伝統芸能だからこそできる襲名の披露興行の寄席には足を運んだ

それでもまさか朝早く並んで券を手に入れて観た、新宿末廣亭での神田伯山の真打昇進襲名披露興行からしばらく間が空くとは思わなかった

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いきなり一転して決まってしまった2021年の都内寄席のゴールデンウィーク休業

加藤勝信官房長官が寄席を「ヨセキ」と読んだ間抜けな会見

(その後の新宿末廣亭単独も含めた)寄席のクラウドファンディング

反ワクチンだった噺家のコロナ感染による死亡

上方落語界のセクハラ・落語協会のパワハラ問題

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振り返ればこれだけ後ろ向きなトピックがあった

しかし何より寄席が人気ある噺家の当日券・劇場販売以外のチケットを売るケースが増えてしまったことと、無観客の代替手段含めた無観客映像配信が寄席も始めてしまったのは隔世の思いがある

寄席は演者も客も含めたセーフティ・ネットの側面がある

平日含めた代演はあるが日替わりの出演ではない10日間の興行は、双方舐めた気持ちもうっすらありながらも寄席という閉鎖空間の中で共犯関係が出来ていく

芸の面白さは勿論だが、それ以上に長い持ち時間と鉄板のつかみやくだりと度胸が色物含めて寄席は求められる

芸歴と年齢はいくつも重ねた落語・講談の師匠と色物の先生は、円熟だけでなく老いも伝わり、裏笑いとわびしい感情が現れる

まだ慣れていない前座・二つ目と色物は応援の目線が強くなるほうが多い

時事ネタはマイナーチェンジ程度で取り入れて笑い事として消費される

江戸言葉は知っている前提でありながら、横文字・カタカナ言葉は最近の流行はよく分からないとくさす

寄席にある程度は通って知った演者の傾向である

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大御所の師匠格は哀しいことに亡くなってしまったというだけでなく、完全に病気や体力の問題などから休養に入ってしまった噺家や、人気がなくて寄席の出番や落語会のオファーがなくなってしまった噺家もちらほら出てきている

その分、二つ目の頃から注目され真打ち昇進の披露興行から間も空かずにもう寄席のトリ(主任)を務める噺家も何人か出てきている

色物も同じように世代交代や芸風の感覚が変化してきている

『オンバト+』や『THE MANZAI』を観ていたので風藤松原の落語協会の加入は驚いた

高座の上での準備の手間がかかりそうなのに落語芸術協会の坂本頼光や玉川大福・玉川奈々福の加入も

勿論これはコロナに関係なくなのであるが、どうしても休業・開催中止や無観客配信、消毒やマスクといった感染対策が行われる期間が長かった

そのせいで各席亭や協会は実際にオフラインの場でわざわざ足を運んだ客のリアルタイムの反応を元に、色物の加入や噺家・講談師の二つ目・真打昇進や襲名のタイミングなども含めた番組作り(出演者のキャスティング)の参考に出来ない時期が長くなってしまったなと思う

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ローテクな師匠や各落語団体・流派、寄席もまだまだ多かったのに、配信の開始やSNS開設などで完全な閉鎖状態というわけでは落語界はなくなった

昔は熱心なお客さん側のインターネット上での言いっぱなしに近い鑑賞記録ばっかりだったのに

それでも相変わらず遠い世界といった印象が強いままのように感じる

古くからの寄席・落語ファンは昔と変わったと嘆き、元々興味のなかった人間は余計に遠い世界になってしまう

倍速でフィクションを観る人とテレビ局主催の大会で優勝して芸人として売れていく時代の中で、目の前の客だけを相手にした閉鎖的な空間で、何人もの一個人が代わる代わる続けて複数の人間を限られた道具で演じ描写していく状況は不気味かもしれない

この奇妙な世界を良いも悪いも併せて他の人に体験してもらいたい

ふつふつとそんな気持ちが湧いてきていた

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