あまちゃんと関西の(笑)

※過去に大学時代にゼミの課題で出したのちに転載してZINEにもしたレポートを加筆・修正して転載しています
卅八十一 2022.09.19
誰でも

週刊ポスト2013年7月12日号にて「関西で『あまちゃん』視聴率低い 笑いに対する姿勢の違い説」という記事が掲載された。

記事では“関東に比べ、関西での『あまちゃん』視聴率は低い。第12週(6月17~22日)の平均視聴率は、関東20.9%、関西16.2%と、4.7ポイントも開いた。

特に6月17日は、関東21.3%、関西15.0%と、実に6.3%もの大差がついている(ビデオリサーチ調べ)。”と視聴率の差を挙げ、その理由の一つとして笑いの価値観の違いを述べている。

『あまちゃん』はクスリとさせる軽い笑いだが、関西の『吉本新喜劇』に代表されるベタで刺激的な笑いと比べると物足りないというのだ。 

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ここで考えたいのは『新喜劇』という舞台と、脚本の宮藤官九郎(クドカン)自身のセンスと所属する団体についてだ。

クドカンは劇団大人計画に所属しており、今回のドラマでは多くその劇団員を使用している。

いわゆる小劇場の公演が主な彼らは、台詞が少なくわざと笑わせようとしないのに笑わせる。

それは各役者の個性が笑いにつながり、その登場人物の存在だけで笑えるからなのだ。

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例として、台詞が無いのに物語の重要な場面にいるのは劇団員の副駅長(荒川良々)と喫茶店のマスター(松尾スズキ)だ。

対して『新喜劇』はストーリーと関係ない各キャラクターのお決まりの一発ギャグ→皆でコケるなど、キャラが強いのは共通しているのだが、シチュエーションではなく各役者のアクションから笑いを生み出しているのだ。

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クドカンのセンスだが、昔のカルチャーなどのノスタルジー要素やギャグやマニアックな小細工などの小ネタを目いっぱい詰め込むのが彼のセンスの一つだ。

その多い小ネタがモタッとしないように台詞を短くカット割りも増えることで、ハイテンポになる。

それが朝の連続テレビ小説というシチュエーションのしっかりした物語で、足し引きされることによって面白い15分のドラマが完成する。

例として「じぇ」がいつもどこでもお決まりに使われるのではなく、言いそうなところで「ホントか」としている。

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しかし、その小ネタの元ネタが分からなくて良しとしない向きもある。

そのことについてクドカンは週刊文春の連載でこう語る。「「分かるヤツだけ分かればいい」ではなく「分からなければ訊けばいい」と思います。」この台詞は自身の脚本の特徴を捉えたうえで、朝の連続テレビ小説を家族で見るという日本の家庭を意識したとみれる。

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朝ドラは日本における時計のようなものであり、女性の一代記(まれに『エール(2020年前期作)』など男性が主人公の場合もある)が毎日15分流れる放送を観てから出勤、通学というものなのだ。

1話15分・毎日・BS・再放送・総集編などで時計やBGMがわりに使う人も多い。

だから分からないことを訊いたりして、家族との触れ合いのきっかけになるのもいいのではないか?ということだと思う。

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という事は、関西の人は子どもっぽくて家族の繋がりが薄いという事か?それはどうだろうか。

やはり『あまちゃん』という作品が熱心なファンを生み出す作品であると同時に、受け入れられない層をつくってしまった作品だったと言える。

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現在、朝の連続テレビドラマ小説の制作は前期(4月~9月末)がNHK東京、後期(10月~3月末)がNHK大阪による制作となっている。

NHK大阪での制作の場合、関西の劇団、上方落語界、漫才・喜劇界からの起用も見られ、例として『カーネーション』では正司照枝などが出演していた。

今作は岩手県の素晴らしさを伝えたと共に東京の芸能文化の弱点をドラマの話の意図とは違うところから出てきてしまったのかもしれない。

所謂、いきっているというやつだろうか。

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しかしながら、芸能の歴史を紐解くとこれが面白い。

『吉本新喜劇』が参考にしたのは、浅草の軽演劇だったという。芝居専門でない劇場で他の演芸と共にドタバタの要素を多く含んだ喜劇を、大阪の風土の上で何でもありにしてきたのが、『吉本新喜劇』なのだ。そこから土曜日の半ドンで学校を終えた子供たちがお昼を食べながらだらっと1時間新喜劇のテレビ中継を見る風景が出来たのだ。

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かと思えば、ビートたけしはツービート時代B&Bなどの関西の漫才を参考にしたという。

そのたけしのラジオのヘビーリスナーであったのはクドカンである。

そして大人計画などの小劇場系の笑いも、つかこうへいや東京ヴォードヴィルショーが浅草の喜劇から離れたものを目指した笑いであるのだ。

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地域性でお笑いを語るという楽しさは確かにあるが、時に変なプライドが仇になることもある。

それでも今後、朝ドラをつくる大きな指針に『あまちゃん』はおおいなサンプルになったことであろう。

参考文献、引用

週刊文春 2013年7月25日号 いま なんつった?

ニッポンの爆笑王100 エノケンから爆笑問題まで 西条昇 2003年 白泉社

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