賞レース一回戦の感情の洪水
マキタスポーツが過去に『東京ポッド許可局』で「どんなに酷い芸人でもYouTuberと違って知らないお客さんの目の前で芸を披露している時点で上なんだ(要約)」と言っていたのをよく覚えている。
流石に今では少し気持ちが変わっているだろうし、娘がYouTuberのイベント・オフ会に行ったというエピソードから、親馬鹿と芸人のプライドを誇張したボケとしてそのような発言をしたんだろうなとも勿論思っている。
それでも見知らぬ人の前で何かをするというのはとても原始的だが凄いことだ。
「たった一曲だって、他人に最後まで聴かせるということは、けっこうすごいことなんだ。音楽に限らず、映画だってマンガだってお笑いだってね。」という忌野清志郎の発言も覚えている。
そうなのだ。
表現はクオリティの前に、覚悟や完成させる・フルで体験してもらう機会が出来たという時点で、もう凄いと評価されてもいい時代に逆説的になっていると思う。
発信したい人、表現したい人、目立ちたい人が多すぎてかえってやらなくなる。
比較対象が多すぎて自分がやる必然を感じられなくてやめてしまう。
そんな人だってかえって増えている。
とりあえず私は証人としてその1人にカウントされる。
某日、R-1グランプリの東京エリアの一回戦予選に行った。
まだ芸歴制限のない「~ぐらんぷり」表記の頃に準決勝や敗者復活観覧を観に行って以来だ。
一回戦から賞レースの予選を観に行くのは人生初めてだが、あまりにも出場者が多すぎる。
なのでアルファベットごとに分けるグループがAからAEまであり、午前11時から夜の22時まで250人以上の2分間の笑いを引き出すためのありとあらゆる孤軍奮闘が行われる。
とにかく何がなんでも新しい才能を見つけたいタイプのお笑いファン以外はもはや拷問だろう。
なので殆どの客が目当ての芸人や時間に合わせて途中退席や入場をする。
何でこんなにも出場者が多いのか。
なにかコンビやグループ所属の人やフリーだけでなくアマチュアお笑い学校の生徒、これが人前に出るのが初めての出場者もいるからだろう。
かつ1人のみということは出場するハードルも下がる。
とすると売れたい以前の芸人になりたい人が多いのか。
流石にこんなに多かったら出場者全員は(今年の)優勝が目的ではないだろう
それでもやっぱり女性の出場者が少ないのはこの日本という国だなと思う。
エントリー料を出せば誰でも出れるのだが、それでも当日欠席者が出る。
この季節この時勢だからというのもあるが、それ以上に怖じ気づいて出られなくなってしまう人もいるのかもしれないのだと司会の漫才コンビが言っていた。
素直に上手いな、面白いなと思えた芸人は何人かいた。
まだまだこんな新しい笑いがやはり生まれてくるのかと思わせてくれた人も、荒削りさやレトリックの浅さを上回る技術や魅力をもった演者もいる。
やっぱり理屈じゃないし簡単に言葉で何故笑えたかなんて説明できない場合もやはり現場にいてそんな瞬間があった。
かといってそれ以外の出場者に対してもう私は完全につまらないと呑気に軽く扱えなくなってしまった。
狙っての小道具・衣装や演出の安っぽさやまたは逆に造り込みしまくっているところのギャップで笑いを取るところも、果たして本人がどこまで狙っているのかも完全に読めない。
それでも明らかに笑いにつながらないどころか、マイナスに作用する小道具の造り込みの甘い出場者もいた。
衣装もどこまでカジュアルにするか逆に正装にするかの匙加減をネタに対して間違えているように感じる出場者もいた。
もはやネタがつまらないのではなく、小さい差異のこだわりや伝え方・パッケージの問題になっている。
近年の東京・大阪のNSCの授業の様子をインターネットやテレビ番組などの映像メディアで幾度か目にしたが、ネタ自体の否定ではなくパッケージングや技術的な部分の指導の割合が増えているように感じた。
それはお笑いを作る人たちの平均的レベルがあがっているという根拠になっているのかもしれない。
観ていてキツかったのはフリップ芸人が多い。
フリップは分かりやすくパッケージングしやすいし、ボケもツッコミもしやすい。
しかしただの浅い偏見やマウンティングになりやすい例も多い。
かつ変な絵や文字、状況につっこむネタは分かりやすい粗はなくとも無難で終わりやすい。
体裁を整えているからまったくつまらない訳ではないネタや演者がかえってしんどく感じられた。
完全に技術や方法論を越える人間力とセンスがないからだ。
かといって自分が舞台に立つ側となったら結局越えられる自信がない。
それこそフリップの文字が読みにくかったり、うまくめくれなくて落とす出場者が何人かいたが共感性羞恥を刺激された。
観る側は500円なのに対して出場者はエントリー・フィーとして4倍の2000円を払わないといけない。
運営側からしたら当たり前だろとしか言いようがないが、新しい世界を開こうとしたらかえってトラウマを背負うリスクがあるにしてはと非対称に感じてしまった。
この日はHグループまで観た。
エレベーターのなかでさっきまでネタをやっていた芸人が説教をされる場に出くわす。
ああ、しんどいな。
その出場者は観ていて面白いと感じられないネタではあったが、もう人前に出て何か発信するのが慎重になってしまった自分は単なる目立ちたがり屋や高い承認と自己啓示の欲求と片付けられない。
radikoを聴きながら帰路に着く。
『ナイツ ザ・ラジオショー 』と『大竹まこと ゴールデンラジオ!』をはしごして聴きながら。
パーソナリティーもゲストもどちらも芸人。
帰り道まで見事にお笑い過剰供給を受け止める自分がいる。
どちらもゲストは芸人としての経歴と苦労や足掻きを語っていた。
笑いという感情を引き出すためにここまで汗と涙を流す。
どうにも異常な形で日本では笑いを届けることが変化した。
それなのに違和感を捨てきれなくても自分はその裏側を知りたい欲求が捨てきれない。
参考資料
『東京ポッド許可局 』第206回 名もなき感情論 TBSラジオ 2017年03月06日
忌野清志郎『ロックで独立する方法』2009年 太田出版
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